今より通じるカタカナ−その1の2
(※今回はタイ、ラオス、カンボジアの情報です。ベトナム、ミャンマーの情報はありません。)

今より通じるカタカナ−その1の中身が冗長すぎたので、最後の項を削除しました。代わりに、ここへ転記したいと思います。
×違う意味で通じない
🇹🇭フワランポーン→サターニー・グゥ(ル)ンテー(プ)
🇰🇭シソポン→セライ・サオポン/スワーイ
フワランポーン駅の日本語版Wikipediaには「タイの地方でフワランポーンは通じない」とありますが、全くその通りです。それどころか、バンコク都内でも通じない場合があります。
極端な話、「路線バスを毎日利用してほとんどの降車地を切符係に一回で伝えられるようになっても、(地下鉄で隣駅のサームヤーン辺りから乗ったとしても)フワランポーンだけは一向に通じず、パララムソーンやポロンポンと間違えられる」というのが実情です。地下鉄の駅名も「フワランポーン」ですが、地下鉄を滅多に使わない人たちも多いので、なかなか浸透しないようです。
シソポンの正式名称は「セライ・サオポン」だそうで、より通じやすい呼称は「スワーイ」です。英語版Wikipediaによれば、”Sisophon”はサイアム統治時代のタイ語風の呼び方だそう。おそらく外国人が勝手に使い続けているだけのようです。
もしくは、「サイソポン」ならまだ通じるのでしょうか。(実際、ポイパエットのアマチュア・タクシーに「シソポンで降りたい。」と言っても全く通じません。第三者の助けを借り、やっとのことで「ああ、スワーイのことか。」と決着したことがあります。)
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..以上が該当箇所になりますが、他に言い足りなかった(話がややこしくなるので割愛した)ことも、併せて書き足します。
1.小さい「ェ」の違和感
その1の「通じるが違和感のある地名」にリストアップしたチェンマイとシェムリアップについて。
これらの地名は、二文字目が「エ」であることは特に問題ありません。(その1で書いた通り、(ブンミリア→ベンメリアなど)”ə”を”e”に変えるのは大きな問題ですが、例外として”iə”と”əi”は、”ie”や”ei”に聞こえることもしばしばです。日本人が手前と書いてテメエと読むような感覚でしょうか。)
この場合はむしろ、小さな「ェ」であることによって一文字目の”i”が消えてしまうことが問題です。「チエ」と「チェ」や、「セィエ」と「シェ」は全く別の音として認識されます。(日本語でも「し易い」を「しゃすい」とは言いません。)
2.余計な音が付いている件。
「アンコールワット」や「クメール」の「ル」と、「シアヌークビル」の「ク」は「聞こえにくい末子音」ですらなく、本来は存在しない音です。そのため、日本人が片仮名として読むのは「訛り」を通り越して「完全な間違い」です。
また、「シアヌークビル」の「ル」は確かに末子音ですが、決して日本人の発するのと同じ「ル」ではありません。むしろ「ウ」や「ア」に書き換えて読んだほうが、現地人にとっては遥かに聞きやすいはずです。
プノンペンの中心部に近い「トゥールコーク」も、「トゥーウコー(ク)」と言ったほうが綺麗に聞こえ、現地人にも知的な印象を与えるでしょう。
3.”si”は「シ」でも問題ないが、より正確には..
タイのシーロム、ラオスのシーパンドーン、カンボジアのシエムリアップなどの「シ」は、現地人が喋っても日本語の「シ」とほとんど同じように聞こえることもありますが、より正確に言えば、タイとラオスでは「スィ」、カンボジアでは「セィ」に寄った音のほうが模範的と言えそうです。
「スィーロム」、「スィーパンドーン」、「セィア(ム)リアッ(プ)」と言い換えても決して現地語から遠ざかる訳ではありません。むしろ「日本語っぽさ」をなくすことで「壊れかけのロボットと会話させられるような不快感」から相手を逃れさせ、より多くの人と現地語で会話をさせて貰う助けになります。
4.ウドンターニーはウドーンターニーなのか。
タイ語、ラオス語(、カンボジア語)には短母音と長母音がありますが、一つの単語の中で撥音の後ろに次の音節が続く場合、往々にして一音節目の長音は短くなります。特に”m”よりも”n”と”ŋ”においてこの傾向は顕著です。
例を挙げれば、タイのカンチャナブリー、ナコン〇〇、ウドンターニー、ノンカーイ、トンロー、そしてラオスのドンコーンは、字面通りに訳せば「ン」の前に横棒が足されますが、その通りのリズムで喋るのは決して流暢とは言えません。
5.カンボジア語の発音はタイ語ほど難しくない。
旅行サイトなどには「カンボジア語は発音が難しい」と書かれています。中には、現地観光業の元経営者の方が「通じなかったら英字を紙に書きましょう。」と指南するようなガイド記事もあります。(それはそれで賢明な選択ですが。)彼らが書いているカンボジア語(地名だけでなく、一言フレーズの指南も含めて)は、得てして「そんなので通じる訳がない」カタカナだったりします。
タイやラオス(そしておそらくベトナム、ミャンマー)に比べれば、カンボジアはむしろカタコトが通じやすい国です。下手でも通じてしまうがために、上達が難しいとさえ言えます。カンボジア人は(少なくとも日本人、タイ人、ラオス人よりは)耳が良いですし、想像力も働きます。確かに母音の「アエ」「ウオ」「エアイ」などこの言語特有の難しさもありますが、それが上手くないからと言って、通じない訳ではありません。無気音と有気音の混同や、”u”, “ɯ”, “ə”の区別の曖昧さに対しても、タイ人より遥かに寛容です。
むしろ日本人やカンボジア人が日本に広めているカンボジア語が、現地の発音と不必要に乖離しすぎています。「ありがとう」を意味する「オークン」などが良い例ではないでしょうか。30人のカンボジア人の「ありがとう」を30回聞いても、全て「オーコン」のほうが近い音に聞こえます。辞書で”u”が用いられているからと言って、生身の音よりも字面を信じて固執するのは正に本末転倒です。