英語は喋れるほうが良いのか。
滞在する国の言葉を学ぶに当たって、英語は喋れるほうが良いのか、悪いのかと言えば、正解はおそらく「どちらでもない」です。
接点のある人のほとんどが旅行者だったシエムリアップはともかく、バンコクでは何人もの在住日本人と接してきましたが、「英語ばかりでタイ語が全然な人」「両方イケる人」「英語が喋れず、現地語オンリーな人(←パプ夫はココ)」「両方苦手でほとんど手付かずの人」はほぼ偏りなく存在しました。
当然と言えば当然ですが、語学が好きで英語が得意だったという人はタイでもタイ語を積極的に覚えようとします。一方で学歴至上主義というか、数学と同じ感覚で(点数を取る)英語をやってきたような人はとにかく英語という感じ。

その国の人を恋愛対象としていても、元々異文化が好きで好奇心の強い人は日本語や英語より現地語を優先するのに対して、出発点で外国に多少なりとも壁がある人はいつまで経っても相手に日本語力を求めます。
英語が喋れることの利点で言えば、(ミャンマー語以外は)語順がヨーロッパ系に近いことや、英語を例示して現地人に現地語を教えて貰えることでしょうか。
反対に欠点は、下手に英語を織り交ぜて会話がメチャクチャになってしまう(相手も自分も混乱する)、英語で通じる単語は咄嗟に英語で済ませてしまい、現地語の記憶が疎かになる、英語を喋れない現地人をつい遠ざけて(英語を喋れる人を探して)、現地人と会話をする機会が減る、などでしょうか。
英語が得意でない人も、英語の得意な人がやっていることをある程度真似することはできますし、英語が得意な人も、TPOに合わせて意識的に積極性を保つことはできてしまいます。「気の持ち様」が学習センスに直結すると言うか、まさしく「好きこそ物の上手なれ」の世界だったりもします。
実際問題、パプ夫はほとんどの緑黄色野菜をタイ語で言えません。何故なら野菜が嫌いだからです。
🇯🇵 英語だけ喋れる
🇹🇭 พูดภาษาอังกฤษได้เท่านั้น
/ プゥー(ト)・パーサー・アンギ(リ)ッ(ト)・ダーイ・タオナ(ヌ)
speak language English can only
🇱🇦 ເວົ້າພາສາອັງກິດໄດ້ເທົ່ານັ້ນ
/ ワオ・パーサー・アンギッ(ト)・ダーイ・タオナ(ヌ)
speak language English can only
🇰🇭 និយាយបានតែភាសាអង់គ្លេស
/ ニイャイ・バー(ヌ)・タエ・ピアサー・オンクレー
speak can only language English
🇻🇳 chỉ nói được tiếng anh
/ チ・ノイ・ドゥオッ(ク)・ティエン・アイン
only speak can language English
🇲🇲 အင်္ဂလိပ်စကားသာပြောနိုင်
/ イングレー・ザガー・サー・ピャオナイ
English language only speak